北ハイランドのブローラの町の郊外建てられたクライヌリッシュ蒸留所は、肥沃なサザーランドの沿岸地帯の農家のためのものでした。
1819年、後にサザーランド公爵となる人物が建設したこの蒸留所は、土地の小作人たちにとって自分たちが育てた穀物の手っ取り早い売り先となったのです。
その当時、蒸留所の黎明期においてクライヌリッシュの評価は極めて高く、「商売用の買い付け」を拒んでいたため、何年にもわたって馴染みの個人客にしか売られていませんでした。
1886年に、ウイスキーに関する著作のパイオニアの一人、アルフレッド・バーナードは「いつでも、スコッチウイスキーの中で一番値段が高かった」とその著作の中で言っています。

- しかし、1931年の不況により蒸留所は閉鎖の憂き目にあいます。
1938年には蒸留が再開されましたが、すぐにまた、1941年の5月から1945年の11月まで、今度は第二次世界大戦により大麦の供給が止まってしまったために閉鎖されてしまいます。
1960年代にはクライヌリッシュは近代化され、1967-68年、クライヌリッシュは、隣の敷地に元の蒸留所とまったく同じ設計で建てられ、新しい蒸留所として生まれ変わりました。
伝統的なウイスキーは新しいクライヌリッシュ蒸留所にまかせたというわけです。





































